おがちゃん
1962年〜2073年まで。
1962年3月24日生まれ、0歳
タイトル:死の世界からの生の世界へ。
動けない私をよく父があちこち連れて行ってくれた。その時の父のスーツや服にタバコ、紙、インクの匂いが混ざった匂いがしていたのを覚えている。
私は仮死状態で生まれてきた。昔の医学では為す術がなかったので、そのまま放置して自然死させることになっていたそうだ。たまたま、その医師と父親が友人同士だったことが幸いし、事情を知らされた父が驚き医師に蘇生を懇願したおかげで生命が蘇り、呼吸ができるようになった。しかし、その結果、脳性小児麻痺という後遺症が残り、目も見えず、耳も聞こえず、体も動けない寝たきりのまま成長することになった。
記憶のにおい:父のスーツ
1965年 、3歳
タイトル:やっと歩けた!
脳性小児麻痺の影響で、硬くなり動けなくなった体の療養のために、知人の好意で、空気が美味しい山奥の別荘に父、母、私の3人で住まわせて頂いた。天気の良い日に、母は別荘の縁側に布団を敷いて、私を寝かせて、身体をマッサージしてくれた。早春の暖かい日差しの中で、マッサージを受けていた時に、周辺に梅の木が沢山あり、満開に咲いた時の香りを覚えている。この年に、自分の身体を動かせるようになり、自立歩行できるようになって、別荘から実家へ帰る引っ越しの風景を今でもよく覚えている。それは、大きなトラックに山積みされた家具だった。
記憶のにおい:梅の香り
1967年、5歳
タイトル:鶴橋のキムチ。
聾学校の幼稚部に入学し、教育内容に不満を抱いた両親の意向で、大阪府の聾学校に転校。兵庫県の実家から毎日、母に連れられてラッシュアワーの阪急電鉄と環状線を乗り継いで鶴橋駅で下車して聾学校に通学した。鶴橋駅に直近して商店街が迷路のように続いていて、あちこちからキムチの酸っぱい匂いが充満していた。母から、韓国人が住んでいるエリアだからと教えられて、初めてチマチョゴリのカラフルな衣装の女性を見かけたりして、5歳ながら日本と違う異国の雰囲気を楽しんでいた。
記憶のにおい:キムチ
1969年 、 7歳
タイトル:小さな命を奪ってしまった!
飼っていたハツカネズミを誤って殺してしまった。泣きながら庭のキンモクセイの大木の根元に埋めて小さな墓を作った。それからまもなくその年もキンモクセイの花が咲き、やがて散って根元を鮮やかな橙色のカーペットで覆った。私の罪悪感を払ってくれるかのように、上品で甘い香りが広がり渡っていた。
記憶のにおい:キンモクセイの香り。
1970年 、8歳
タイトル:初めての「外国」と「未来」?
大阪で万国博覧会が開催され、私にとって初めて「外国」と「未来」に触れた大イベントであった。外国パビリオンのコンパニオンたち
の強い香水に「外国」への憧れを掻き立てられ、各国パビリオンのパンフレットやバッジを熱心に集めていた。そして便利な「未来」になったら外国へ行こうと決めていた。
記憶のにおい:万国博覧会コンパニオンの香水。
1973年 11歳
タイトル:やっと泳げた!
この年にろう学校から普通学校に転校し、聞こえる人たちの世界に飛び込んだ。元々全く泳げず、プールがある小学校に転校したことを後悔していたが、担任の先生の「あきらめない」指導で毎日プールに入り続け、初めて25mプールを泳ぎ切った。その瞬間にクラスメート全員に拍手を送られ、聞こえる人と一緒に学ぶことに自信がついた。
記憶のにおい:学校プールの塩素の匂い。
1975年 13歳
タイトル:初恋だー!
中学校に進学、その年に天神祭りで同じクラスの聞こえる女の子と出会ったのがきっかけで付き合い始め、両家公認の恋人同士になった。何度か一緒になっているうちに彼女のシャンプーと制服から醸し出されるにおいにときめくようになった。これが「初恋のにおい」なんだと記憶している。
記憶のにおい:初恋のにおい。
1977年 15歳
タイトル:天神さまの罰に当たったー!
相変わらず兵庫県の実家から大阪市内の中学校に遠距離通学していたが、成績はいつもトップクラス。自信過剰から放課後はまっすぐ帰らずに友達とおしゃべりしながら暗くなるまで地元をぶらついていた。ある日、気のゆるみからかつまずいて北野天満宮前の舗装道路に前のめり転倒して顔を強打し、前歯4本を折ってしまった。しばらく「歯無し」とからかわれていた。
記憶のにおい:アスファルトのにおい。
1978年 16歳
タイトル:美術館巡りの始まりだー!
伝統校の高校に合格、喜んだ父に関東の美術館巡りに連れられ、池田20世紀美術館、ブリヂストン美術館、国立西洋美術館などを回る。その時に東西の美術館の中の匂いが違うことに気づいた。当時は西では床に油びきの美術館が多く服にも油の匂いが移っていた。だから全く油臭さがない東の美術館に感動し、それがライフワークの美術館巡りに繋がっている。
記憶のにおい:美術館の匂い。
1981年 19歳
タイトル:不良になりかけ?
大学受験に失敗し、一浪の間に予備校に通う。仲良くなった予備校生がタバコを吸っているのを見てせがみ、未成年ながら初めてタバコを吸いこむ。「飲み込むんだよ」と教えられで肺まで吸い込むと突然意識もうろうになってしまった。鼻奥にこびりついたタバコの匂いがしばらく気持ち悪かった。
記憶のにおい:タバコの匂い。
1982年 20歳
タイトル:人生初のお酒の失敗!
大学の絵画部の新歓コンパで酔いつぶれてしまい、先輩の下宿に担ぎ込まれて寝かされているうちに、無意識のうちに仰向けのままゲロを吐いてしまう失態を犯してしまった。自分の髪の毛や服にこびりついた嘔吐物の匂いがバレないように自分の家に帰るのにも一苦労した。
記憶のにおい:ゲロの匂い。
1983年 21歳
タイトル:山はええぞー!
その頃から単独で関西の山に登るようになり、行く山々の中で樹林のにおい、草いきれのにおい、滝のしぶきのにおい、山道の土のにおいなどに心が穏やかに満たされるようになってきて、勉学やアルバイトのストレス解消のために山に入り込むことが多くなってきた。
記憶のにおい:山のにおい
1986年 24歳
タイトル:社会人になったぞー!
就職した会社の赴任先が東京になったので、生まれて初めて実家を離れて東京で一人で暮らすことになった。自分が住む家の下見にいくつかの賃貸マンションの空き部屋を訪れるとどこも新しく貼り直された壁紙の糊の匂いで充満している。その都度「ここで自分は天下を取るんだ。」と張り切っていたことを思い出す。
記憶のにおい:ワンルームの匂い
1989年 27歳
タイトル:温泉はええぞー!!
会社の仕事にも一人暮らしにも慣れ、休暇をとって温泉巡りに出かけるようになった。その年に行った日光湯元温泉の強い硫黄の匂いが東京に戻っても体から取れず、会社に別の理由で休暇をとってひたすらシャワーで匂い消しに務めていた。
記憶のにおい:硫黄の匂い。
1992年 30歳
タイトル:北アルプスはええぞー!
会社の先輩に誘われて初めて北アルプスの常念岳に登る。が、予想を裏切って香ってくるのが岩々の乾いた匂いや砂っぽい匂い。それは優しさというよりは人間を超越するような厳しい大自然の香りであり、むしろ緊張させられることもしばしば。「山をなめたらあかん」というメッセージが込められた香りと受け止めて北アルプスに畏怖の念を抱くようになった。
記憶のにおい:北アルプスの匂い。
1995年 33歳
タイトル:お通夜
実家で同居していた祖父が亡くなった。実家でお通夜が執り行われ、線香を絶やさないように徹夜で番をさせられた。線香の香りで充満していた実家が、生まれ育った懐かしい場所ではなくて厳かな特別な場所になりきっていることに不思議な違和感を覚えた。
記憶のにおい:線香の香り。
1996年 34歳
タイトル:海はええぞー!
スキューバダイビングを始めた。ライセンスをとってからは主に東伊豆に通って潜っていた。季節や天気、時間によっては海風に運ばれてくる香りが違うことは十分わかっていたが、海の中に潜っている間でも香りが微妙に違っていた。同じ業者のエアータンクの空気を吸っているはずなのに、匂いが異なるのが不思議だ。もしかしたら皮膚呼吸で匂いを感じていたのかもしれない。
記憶のにおい:梅海の中の匂い。
1997年 35歳
タイトル:人生初の海外旅行!
生まれて初めての海外旅行はインドネシアのバリ島。空港に降り立った時、蒸し暑さと湿っぽさが濃厚な匂いになつかしさを感じた。それは実家にまだエアコンがなかった時代に、真夏に窓を開けっぱなしにしていて突然の夕立で雨のにおいが部屋に入ってきた時を思い出した。
記憶のにおい:インドネシアの匂い。
2006年 44歳
タイトル:人生初の手術!
直腸ガンを患い、人生で初めての手術を体験した。腫瘍の全摘出に成功し、ガンの転移も認められなかった。が、その後の入院では五日間は絶食になった。水すらも禁止されていた。初めは点滴で栄養を注入されていたので空腹感はなかった。だが4人部屋なので他患者に運ばれてくる食事の匂いがだんだんと自分の脳を刺激するようになり、苦痛にもなってきた。絶食が解除されるまで食事タイムの時は点滴チューブをつけたまま廊下やロビーに逃げていた。
記憶のにおい:我慢できないにおい。
2017年 55歳
タイトル:自分はおじさんか!?
その頃から自分のスーツやワイシャツから乾いた安っぽい石鹸のにおいがたってきた。自分でも不快に感じてきた。それが加齢臭とわかって風呂で一生懸命体を洗っても落ちず、悩み始めた。ネットで調べた結果、サウナや石盤浴がいいらしいと知ってサウナ通いが始まった。現在、サウナブームなのはもしかしたら加齢臭に悩む人が多いからかもしれない。
記憶のにおい:加齢臭。
2020年 58歳
タイトル:においは危険察知につながる!
未曾有のパンデミック、コロナ禍により、在宅勤務を余儀なくされ、家に引きこもることが多くなった。自分が作業するリビングルームに隣接するキッチンでコーヒーのためにお湯を沸かしたり洗い物をすることも多くなった。パソコンで業務に集中するあまり、耳が聞こえない私がガスを止め忘れたり水を流しっぱなしということもしばしばあり、あわや火事寸前のケースもあった。そういうこと経験していたので異常な匂いには敏感になってきている。
記憶のにおい:在宅勤務の匂い。
2021年 59歳
タイトル:危険を伝えるにおい?
研究熱心な友人の農家M君の観察によると、ある農作物の周辺の雑草を刈り取るとその切られた草から発される匂いを農作物が感知して恐怖感から自分の成長を止めてしまうらしい。なのでM君は雑草の刈り取りは積極的にはやっていないそう。コミュニケーションツールとしてにおいは使えそうな気がした。
記憶のにおい:雑草の悲痛な匂い。
2050年 88歳
タイトル:においの言葉が開発された?
匂いには何種類もの匂い粒子が組み込まれて脳内で記憶や脳コントロールで匂いを感じる仕組みが詳細に解明されてきた。匂い粒子の言語化、記号化を進めていった結果、匂いを言語として感知し、簡単なコミュニケーションに使えるようになってきた。聞こえない人でも見えない人でも緊急案内や警報を匂いで感じることにより、とっさに行動できるようになってきたのがありがたい。
記憶のにおい:言語化された匂い。
2073年 101歳
タイトル:宇宙世界へのトラベル?
木星に向かう宇宙船が出発するターミナルへと急ぐ。ターミナルに到着するとツンと匂いが鼻についた。呼吸にあわせて嗅ぐとそれは「6番乗り場に急げ」という乗り場案内の匂いだった。近くにいた木星人グループと一緒に6番ホームに急ぐと今度は別の匂いがしてきた。「太陽フレアのため出発は明後日に延期」。体をガチャガチャ震わして抗議を示す木星人グループを横目に今日も自宅に戻ったのだった。
記憶のにおい:宇宙船案内の匂い。