たかさん
2000年〜20XX年まで。
2000年3月22日、0歳
タイトル:よだれベイビー。
エピソード:男の子しては、少し小さめの体重で、大阪の病院に生まれる。女の子みたいな顔立ちと髪の毛が長かったので、写真を見て振り返ると、いつも服には涎掛けをつけていた。どこか格好悪い赤ん坊だったのだろう・・・
2003年、3歳
タイトル:病院怖い。
弟が生まれてたくさん遊べると思いきや、自分は身体が弱く、頻繁に病院に通っていた。思い出すのは、薬品や消毒液、機材などのケミカルで無機質な香り。幼い自分には、得体のしれない怖いにおいとして記憶に残った。
記憶のにおい:薬品、消毒液、医療機材。
2005年、5歳
タイトル:慣れない法被。
地元で“だんじり”を引きはじめる。使い回しの慣れない法被を着て、毎日同じような練習に励んだ。部品工場で働き、練習を大声で楽しみ、酒を飲む、そんな大人と過ごした時間は、汗ばんだ匂いと藍の匂いが混ざる法被の残香。
2009年、9歳
タイトル:焦げた粉と豚肉のにおい。
毎週のようにお好み焼きを食べていた週末。いつかお前も焼く側になる、と言われながら親が焼いてくれたお好み焼きは、当時の家族にとって一つの帯のような存在だったかもしれない。お好み焼きの隣に余った豚肉を焼き、それを食べるのがささやかな楽しみだった。
2010年、10歳
タイトル:木登りをやめた日
最寄りの公園には、公衆トイレの隣に3mほどの木が立っていた。それで小学生の間では、木に登り、枝から軽くジャンプしてトイレの天井に乗るという遊びが流行っていた。ある日友達がジャンプする際に足を滑らせ、頭を縫う大怪我に。散歩中のおじさんが救急車を呼ぶのを聴きながら嗅いだ、百日紅の青くさい香りは今でも覚えている。
記憶のにおい:百日紅の青くさい香り、公衆トイレのカビくさいにおい、アンモニア臭。
2011年、11歳
タイトル:煮卵のにおい
小学校の校庭で開催された、7月末の地元の盆踊り。数日のみの練習で緊張していた太鼓を披露し、その後、友達とその家族の待つテラスへ。友達のお父さんが煮卵を校庭奥で売っているとのことで、友達と10円玉を握りしめて走って向かった。紙コップに入った70円の煮卵は、少し醤油が強かったが、今思えばお酒に合う味だった。以来、 今に至るまで、煮卵のファンになった。
2012年、12歳
タイトル:カビたコンクリートのにおい。
小学校よりも古びた中学の校舎で過ごす。たった1年で取り壊されきれいな校舎に生まれ変わったため、常に砂とかびた匂いのする前校舎は印象に残っている
2015年、15歳
タイトル:祖父の身体のにおい。
色々あって、親なし状態で過ごした時のこと。弟との2人暮らしは流石に心配され、祖母が1週間分の晩ごはんを持ってきてくれたりした。ある日祖父のセーターを貰い、以降毎晩のようにそれを着て過ごした。翌年祖父は息を引き取った。
2017年、17歳
タイトル:ラケットクリーナーについたゴムのにおい。
卓球ラケットに高校生活最後のお手入れを施す。ラケットやそれに貼り付けるラバーは何度か交換したものの、ラケットクリーナーは6年間肌身外さず持ち歩いていた。ゴムの匂いが集まっていた。
2018年、18歳
タイトル:渋谷のゴミのにおい。
故郷を離れ上京。渋谷ハチ公に降り立ち、まず感じたのは都会独特のゴミを感じるようなにおい。地元でも街に出れば似たにおいがしたのかもしれないが、都合のいい記憶のせいか、東京のにおいとして刻まれている。憧れと失望の入り混じるにおい。
2020年、19歳
実質的に初めての海外滞在となった。留学による渡米。好奇心を存分に満たしてくれる環境、自由の土地に満足した一方で、実力や英語力の不足、慣れない文化のためにホームシックな時期もあった。そんな時期に自炊してつくる日本食は心の支えとなり、特にだしのにおいは今でも渡米時を想起させる。
記憶のにおい:顆粒だしのにおい。
2020年、20歳
アメリカから帰国すると、マスク生活にびっくり。マスク自体嫌いだったので初めの強い抵抗感はとても残っている。マスク生活と叫ばれている中、マスクは売り切れているので驚いた。不繊布とマスクで過ごした2020年。
2021年、21歳
新しいモノ、人、場所との出会いに恵まれた2021年。特に嬉しかった出会いは、クラフトジンのプロデューサーさんとの出会い。蒸留所にも行ったし、素材探しへ山梨にも連れて 行ってもらった。ジンは落ち着くハーブやスパイスの香りで溢れていて、心に残る。飲み会のバツゲームとしてのジンのイメージが一変した。
2022年、22歳
引っ越しをして新生活がスタート。お世話になった小物と涙のお別れをしたり、新しい家具をお迎えしたり。今までの生活が数個の段ボールに収まってしまう様子が少し寂しく切なかった。
タイトル:「わたし」のにおい
無数の土地の匂いや他者の匂いが、消えたり一つに溶け合ったりすることなく共存している、圧倒的に多様でよく分からないこの世界。社会に散らばる無数のにおいを、私たちは知らず知らずのうちに標本採集して生きている。そしてその標本採集は、他者や社会から、少しずつ私たちの肌身へと近づいていくのだと思う。歳を積み重ねることは、においを積み重ねること。