よるさん

 

1991年〜2061年まで。

 

1991年、0歳

 

タイトル:はじめてのにおい。

私は、1年くらいずっとお母さんのなかでお母さんだけのにおいに包まれていた。

そのときはどんなにおいだったか、覚えていない。

お母さんからでてきた、外でのはじめてのにおいは、看護師さんが手に着けていた「消毒アルコール」のにおいだったんじゃないかなと思う。(と想像している。)

 

 

1994年、3歳

 

タイトル:絶望と希望のにおい。

2歳のとき、私は耳が聴こえにくいことがわかった。

落ち込んだ母に、お医者さんが「お子さんは手話の人になる可能性があります」と言った。

お母さんは、「手話の人って何だろう?」と幼い私を抱えて帰った。

健常児に産んであげられなかった絶望、また、「手話」という新しい世界への希望のにおいがまじった帰り道だった。

 

 

1995年、4歳

 

タイトル:池につっこんだにおい。

遊び場の中に池があって、ぴちゃぴちゃと軽く手を入れて遊んでいた。

調子にのっていたら、深く入り込んでしまい、袖が濡れて、池臭いにおいにまみれた。

 

 

1997年、5歳

 

タイトル:手と体温のにおい。

私は手話を通して言葉をたくさん覚えた。

お母さんは心配性だったので、言葉の遅れを心配していた。

しかし、手話で話すときは「5歳とは思えない話し方」をした。

ある時、私は手話をする人の手に興味津々になり、手話をする人のにおいをかぐのがクセになった。この頃、汗のにおいが人それぞれ、違うことに気づいた。

 

 

 

2015年、24歳

 

タイトル:自暴自棄のにおい。

現在、日本は「手話(ろう)の人」のことを理解されにくく、「聞こえる人」のように振る舞うことを奨励している。

「無理」を重ねた結果、精神障害を発症した。休養のために、私は閉鎖病棟で過ごした。

アルコールで清潔に整えられたベッドの上で半年、ぐるぐる悩んだ。

その時のにおいは、まっしろなほど無味乾燥だった。

 

 

2018年、27歳

 

タイトル:もと恋人のにおいは異国のお酒の香り。

もと恋人とはよくハグし合う間柄だった。

ハグする時、くんくんと嗅ぐと、自分とは違う男の人のにおいがいつもした。

独特の男くさいにおい。例えるなら、異国の辛い系のお酒が香るようなにおいだった。

そのにおいが大好きだった。別れたあとになるとかぎたくなくなるほど嫌いになった。

不思議だ。

 

 

2019年、28歳

 

タイトル:澄んだ夜道。

この1年前に恩人に会った。

誰にも話せず1人で抱えていた事柄を恩人に聞いてもらった。

今まで言ってほしかったこと、理解してくれたこと、その上に共感してもらったこと。

それがたまらなく嬉しかった。

帰り道の夜のなかで、そよ風が運んできた「澄んだにおい」がした。

 

 

 

2020年、29歳

 

タイトル:雨の京都のにおい。

コロナ禍でしたが、初めて友人と旅行に行った。

その時の天候はくもり、ときどき、雨だった

小雨のなか、ずんずん行く友人の後ろをついていった。

雨のしっとりしたにおいが記憶に残っている。

カフェでたくさんお話をした。

あんなに悩んでいた「きこえない」ことをすっかり忘れながら、手話で喋っていた。

 

 

2021年、30歳

 

タイトル:マスクマスクマスク。

マスク中心の生活で、とくに印象的なにおいの記憶はなし。

 

 

 

2022年、31歳

 

タイトル:冴える感覚は神社のおかげ?

このところ、感覚が冴えている。

「あ、今ここ行ったら何か起きる」と思ってある場所に行くと、ずっと会ってなかった人や同級生に偶然会うこと二回。そのときの冴えた感覚のにおいを思い出すと、ほとんど無臭。残念。ほぼ毎日近所の神社に参拝する回数が増え、神社に生えている深い草木のにおいが風にのって香る。

 

 

 

2031年、40歳

 

タイトル:新刊単行本のにおい。

集英社インターナショナル社から『ろう、目で生きる人のアート鑑賞』、『ろう、目で生きる人の物のみかた』、『ろう、目で生きる人の世界の捉え方』を何万部か発行してもらい、そのうちの何十冊が段ボールで届く。開いたら新品の本のにおいと幸福に包まれる。

 

 

 

2041年、50歳

 

タイトル:十人十色の世界のにおい。

北欧、アジア、英国、フランス、イタリアで、各国1ヶ月ごとに過ごす。アートや美術、食を楽しむ。十(以上)色十(以上)国のにおいをたどる。

 

 

 

2051年、60歳

 

タイトル:マーカーのあふれた創作のにおい。

絵を長く描いて、55歳の時に爆発的に上手くなる。

作品をSNSやコミケに出して、一躍有名になる予定。

スケッチブックとマーカーのペンのにおい。

手にも色がつくほど描きまくる。

 

 

 

2061年、70歳

 

タイトル:映画監督の、ざわざわ昂揚するにおい。

ほとんどの仕事は、助監督に助けてもらいながら、映画を1作品つくる。

俳優さんたちの交流、人の体温のにおいの毎日を一時期送る。

わすれがたい、記憶となる。

(たらちねジョン著「海が走るエンドロール」のような主人公の気分!)